大人は判ってくれない/フランソワ・トリュフォー (2)

+概要+
1959年公開のフランス映画。
監督:フランソワ・トリュフォー
脚本:フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー
出演:ジャン・ピエール=レオー
撮影:アンリ・ドカエ
編集:マリー=ジョセフ・ヨヨット
制作会社:フィルム・デ・キャロッス

フランソワ・トリュフォーの長編初監督作品。これまで批評家として伝統的なフランス映画を切りまくっていた彼の作品だけに、多くの人が良くも悪くも関心を寄せていた中で見事に新たな映画の波を作り出した。

+あらすじ+
12歳のアントワーヌ・ドワネルは、いたずら好きの悪童で先生にも目の敵にされている。親友のロシェと学校をサボり、翌日には先生に母が死んだと嘘をついたりと悪いことばかりしている。両親もアントワーヌを廊下に寝かせたり、夏に厄介払いする方法を聞こえる場所で相談するなど愛情に欠けている。ある日質に入れようと、父の会社からタイプライターを盗み売れずに返そうとしたところを見つかり、少年鑑別所に送られることとなる。そこでの生活は厳しく、遂にアントワーヌは脱走。両親にも見捨てられていた彼は、1人海辺を歩く。

+感想+
 OPの様々な角度からのエッフェル塔を映し出す映像。子供の頃から目の前に見えているのにどうしても辿り着けないエッフェル塔というイメージを表現したかったそう。音楽は美しく愉快で可愛らしいものの、最後の終わり方は何とも言えない寂しさが残り、映画のラストを予期させる。

 厳しく不機嫌なことの多い母と愉快な父という印象がありながら、アントワーヌに聞こえる位置で夏に林間学校に行かせる計画を立て厄介払いをしようとしたり、廊下に寝かせたり、夫婦喧嘩を夜中に大きな声でしたり、時々見えるアントワーヌへの無関心さからも、その心の底には愛情の欠如が感じられ、アントワーヌの問題行動の根底に潜む原因が予測出来る。

 愛情に飢えたアントワーヌ。学校を休んだ翌日に「母が死にました」と勢いで嘘をつく場面が特に印象的だ。その時の表情・言い方から、教師とのやりとりの中売り言葉に買い言葉、「これなら良いのか」という咄嗟の感が出ているのが良い。その後親友ロシェにも欠席理由を何と言ったか告げないところからも、悪いことをしてしまったという反省が見られる。トリュフォーの頭の中ではもっと違う演技を想像していたらしいが、ジャン・ピエール=レオーの演技が気に入りあの形になったらしい。正に架空のキャラクターと実際の俳優とが融合した瞬間だと思う。

 そんないたずらを繰り返しつつ、親友のロシェと遊び回って生き生きとした生活を送っているアントワーヌだが、タイプライターを盗み捕まった後から物語の雰囲気は徐々に変わっていく。留置所の中で拘留された檻越に見える彼の姿。煌びやかなパリが檻を隔てて遠ざかっていく景色を見て涙を流す様子からも、一線を超えてしまったことが分かる。

 最後の海辺のシーンのクローズアップでは、少年から大人のような表情になったアントワーヌの顔が大映しになる。ここで子供を正しい方向に導く努力を怠った大人たちのために、いたずらっ子が遂には戻れないところまで来たという悲しみがこみ上げてくる。結局は、学校の教師、タイプライターの盗難を上司である父への恨みから報告する社員、そして両親。この結末は、彼らがアントワーヌのSOSを無視し続けたことが生んだ結果なのだ。

トリュフォー自身が述べる「悲しい物語だが、ディテールはおかしさに彩られている」ということが既に完成された作品といえる。

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